「あなたの心に…」


エピローグ


そして、月日は流れて

 

 

「うっほぉっ!から揚げっ!ラッキーっ!」

 金髪の美少女はひょいとから揚げをつまみ上げた。
 
「こらっ、マナ!」

「あつつつっ!はぐほぐはふっ」

「ばっかねぇ、揚げたて頬張るからよ」

 私は溜息混じりにマナを見た。
 まったく元気なのはいいんだけどねぇ。

「ほふぅ、おいしかったぁ。どれもう一個」

 ぺしっ。

「痛ぁい〜」

「お弁当の分がなくなるでしょっ」

「私のじゃないもん」

「アンタねぇ」

 この自己中心的な天才美少女の名前は惣流・マナ・ラングレー。
 今年で14歳になる。
 そう、私とシンジが出会った年齢よね。
 私たちが卒業した中学校に彼女も通っている。
 学校一のモテモテ女だと自分で豪語しているけど、まあそれは信じざるを得ないわ。
 だって、マナの容姿はあの時の私と寸分たがわない。
 いや、小憎たらしいことに身長で5cm。バストで3cm、当時の私より大きいのだ。
 私だって運動神経が悪いほうじゃなかったけど、コイツはスポーツ万能。
 あらゆる部活動から勧誘されているくらいなのよ。
 他の学校の生徒からラブレター貰うのも当然な感じ。
 これで私並みのおしとやかさの欠片くらいあればそう問題ないところなんだけど、
 コイツはけっこうおっちょこちょいなのだ。
 まあ、そのことはいいわ。
 コイツの最大の問題は…。

「あっ、おっはよっ!ねっ、モーニングキッスをっ!」

「待ちなさいっ!それは私だけの特権なのよ!」

 マナを押しのけて、私はシンジの胸に飛び込む。
 ま、ベッドから出るときにモーニングキスは済ませてるんだけどね。
 
「きゃっ!」

 ちゅっ。
 さすがに思春期のマナの前で濃厚なキスはできないわよね。
 ここは軽くバードキスを数秒間。

「もう…いじわる。減るものじゃないし、いいじゃん」

 マナは膨れっ面でから揚げをひとつその口に放り込んだ。
 まったく油断も隙もない。

「はは、おはよう、マナちゃん」

 パジャマ姿のマイダーリンはマナ風情にも笑顔を振り撒いてあげてる。
 
「こら、マナ。アンタ、自分の家で食事しなさいよ。毎日毎日うちに来るんじゃないわよ」

「い〜じゃない。お隣なんだからっ。ねぇ〜、お兄様ぁ」

「うん、いいんじゃないのかな」

 語尾にハートマークがつくような歯の浮いた台詞にあっさりと返事するシンジ。
 馬鹿シンジはいくつになっても鈍感なままだったわ。
 


 あ、申し遅れました。
 私の名前は、碇アスカ。
 シンジと結婚してお隣から引っ越してきてもう6年になるの。

 ちょっと、待って。
 もしかして誤解されてるかもしれないからはっきり言っておくわ。
 私はまだ20代。
 ま、もう28歳だけどさ。
 かと言って、未成年の中学生でマナを産んだから戸籍上はママの子供にして…って不道徳的なことをしたんじゃないわよ。
 そもそも私とシンジの初体験は高こ…。
 ごほんっ。
 それは秘密。
 惣流マナは紛れもなく惣流ハインツとキョウコの間に産まれた実子。
 つまり、私の妹になるわけよ。
 まあママも若かったからさ、あの時妊娠したって聞いてもそれほど驚きもしなかった。
 逆に妹か弟ができるって喜んだくらいね。
 それが生まれてきた赤ちゃんのお尻に小さな黒子が3つ並んでいるのを発見した時には開いた口がふさがらなかったわよ。
 おまけに隣にいたシンジが「あっ、マナと同じ黒子がある!」なんて叫んでくれたもんだから、
 速攻で廊下に連れ出して折檻よ。
 いくら小学生低学年の時に一緒にお風呂に入っていて覚えていたって言ってもねぇ。
 でもシンジがそれを知ってたおかげで赤ちゃんの名前をマナにすることに支障はなくなったわけで。
 あとでママを問い詰めたところ、どうやらママには予感があったみたい。
 赤ちゃんができたのはあの夜みたいだったらしいから。
 検査もしていないのに女の子だと決め付けていたし、
 一人のときはお腹の赤ちゃんに「マナ」って呼びかけていたんだって。
 で、よくよく聞いてみれば、私がマナにお願いする前にママも同じことをマナに話していたの。
 つまりは先着順でママのお腹に収まったってことなのよ。
 私はまたそそっかしいマナが私とママを間違えて生まれ変わったのかと思っちゃった。
 ま、私が赤ちゃんを産むのはもっと後だから、早めに生まれ変わってくれた上に私の妹なんだから文句なんかまったくなし。

 その時はそう思っていたわ。

 可愛かったわよ、マナは。
 でもねぇ、物心がついた頃からアイツはシンジにべったりだったのよ。
 でもって、またシンジも面倒見がいいほうだし、マナへの想いもあったんでしょうね、
 同じマナという名前の女の子に好かれて悪い気はしなかったはず。
 それに何たってこの惣流マナは自分の最愛の彼女である私の実の妹なんだもんね。
 罪の意識も何もなく、むしろ嬉々として面倒を見ていたもん。
 アスカの小さい時もこんなに可愛かったんだろうなぁ…なぁんて言ってくれるもんだから、私はにやけ顔になっちゃったわ。
 そういう姿を見て、私もほのぼのしちゃったりしてたのよ。
 それをぶち壊してくれたのが、高校時代のレイの一言。

「マナってお兄様と結婚できるのね」

 そうなのよ。
 当初の計画とは違って、マナは私の子供じゃない。
 私の子供だったら父親がシンジなんだから、マナとシンジが結ばれることなんかありえなかったのよ。
 ところが、惣流マナはママとパパの子供。
 私とそっくりで、一番拙いのが私よりも14歳も若いのよっ!
 その上、ちょうど私とシンジが出逢った年齢なのよ。
 思い出とかそういうのでシンジがふらふらっと…なぁんて考えてしまうのよ!
 ま、シンジ本人は笑い飛ばしてくれてるけどね。
 マナは妹というよりも子供みたいなもんだって。
 そりゃあ赤ちゃんの時から面倒見てるんだからそういう気持ちになるのが当然だとも言えるんだけどさ…。
 問題はマナの方よ。
 たちの悪いことに、ま、当然だけどアイツには前世の記憶がない。
 だからアイツ本人が苦心して私とシンジをくっつけようとしたという美しい記憶がすっぽり抜けているのよ。
 それなのにシンジを好きだっていう気持ちだけが異様に強い。
 処置なしだと、レイはくすくす爆笑してたわ。
 まだ小学生中学年の時分はよかったわよ。
 胸だってちょっとしか膨らんでなかったもん。
 ちょっとやばいなって思いだしたのはアイツが小学校6年の時に新しい水着が欲しいって言い出したときよ。
 試着コーナーで真っ赤なビキニを選んだ時にはあの馬鹿って笑ってたけど、
 いざ試着ブースから自信たっぷりに出てきたマナを見て思わず「まずっ!」って思っちゃった。
 こ、こいつ、私より発育がいい…。
 試着ブースの前でどうだとばかりに腰に手をやってにんまり顔。
 コイツにはおしとやかさは皆無だ。私に似ずに。
 その時は姉の威厳で普通のワンピースに無理矢理決めさせたけど、
 鏡の中の自分を見て完璧に自信を持っちゃったみたい。
 その上、パパがマナに甘い。
 正直言って私の時よりもベタベタだ。
 何でも買い与えてママにこってり絞られてるんだもんね。
 でもって、中学1年…去年ね。
 その夏の家族旅行ではいきなりビキニでシンジの前に出現したのよ。
 焦ったのなんのって。
 もっともシンジはけろってしてたけどね。
 
 マナがあのマナの生まれ変わりだって気づいてるのは、私とレイ、それにパパとママだけ。
 もしかするとシンジも微かにそう思ってるのかもしれないけど、確かめたことはないの。
 馬鹿らしいとは思うだろうけど、そんなことをした途端に魔法が解けてしまうような気がするの。
 マナが生まれ変わってきたということ自体が奇跡みたいなものだと思ってるもの。
 
 何だかんだと言っても、マナには幸せになって欲しい。
 秘密を知る4人、それにシンジもそう思ってるはず。
 だから、みんなの彼女を見る目は温かい。
 私だって、シンジ以外の部分では立派にお姉さんしてるのよ。



「ねぇ、お兄様ぁ、こんな年増なんか放り出して、私と結婚しようよぉ」

 馬鹿妹の頭を小突こうとしたけど、敵もさるもの。
 私の攻撃には慣れているし、運動神経も敏捷性も私に勝ってる。
 
「へへん、姉貴なんかにやられるもんか」

「この、馬鹿マナ!」

「馬鹿じゃないもん。全教科オール5だもん」

「私だってそうだったわよ!」

「アスカ、むきにならないでよ」

「うっ、そ、そうね」

 シンジに諭されると何もできなくなるなんて、ああ貞淑な妻。

「やぁ〜い、叱られた、叱られた」

 ぶちんっ。
 
「ぶっ殺す!」

 28歳の大人が、と言うなかれ。
 ことシンジのことになると、まるで子供だとみんなに言われてる。
 
「アスカ、いい加減にしないと」

「うるさい、この破廉恥娘を成敗してくれるわ」

「へへ〜ん、そっちこそいい加減にしないとお兄様に嫌われるぞ。
 ただでさえ、子供ができないんだからね〜」

 マナは私の弱みを突いてきた。
 
「ねぇ〜、まだ子供ができないんだもんね〜」

「できないんじゃないのっ。作ってなかったの!仕事が忙しかったんだから」

「嘘つき姉貴!2年前からはがんばってるくせにぃ」

「アンタ、まだ中学生のガキの癖になんてこと言うのっ!」

「ガキでももう子供つくれるもんね!ねっ、私ならすぐに…きゃっ」

 ふんっ、隙あり。
 ロケットパンチの要領でなべつかみをマナの頭にヒットさせてやったわ。

「黙れ、馬鹿マナ。私にだってやっと…」

 しまった。言っちゃった。
 がたんと椅子をひっくり返してシンジが突っ立った
 恐る恐るそっちを窺うと、口をぱっくり開けて信じられないものでもいるかのように私を見つめていたわ。
 あ〜あ、もっとムードのある場所で二人きりのときに言おうと思ってたのにぃっ!
 この、馬鹿マナがっ!

「あ、アスカ、それ本当?」

「う、う〜ん、たぶん、ね。今日、お医者さまのところに行くつもりだったのよ。
 それで、はっきりしたら、シンジに言おうと…」

 これは本当の話。
 間違いないとは思うんだけど、うかつなことを言ってぬか喜びさせちゃ可哀相だもの。

「きっと、間違いよ。姉貴、食べすぎでお腹がおかしいんだわ」

 へらへら笑ってるマナ。
 コイツったら、勘弁ならないっ。

「マナっ、今日という今日はぁ!」

 テーブルを回り込んでマナに襲い掛かろうとしたんだけど、
 そんな私を優しく抱きとめたのはもちろんシンジ。

「こら、アスカ。赤ちゃんがお腹にいるかもしれないのに、そんなことしたらダメだろう」

「だってぇ」

 わざとやってるわけじゃないのよ。
 何故だかシンジ相手にはこういう声になってしまう。
 といってもそれはどんな場合でもってことではないの。
 まず他人の目があるとダメ。
 
「姉貴、キモチワルイ」

 身内の目は気にならないけど、その口は鬱陶しい。
 じろりと睨みつけてから、ちょっと反省。
 こういうことをしていると胎教に悪いのではなかろうかと。
 母になるのだ、この私が。
 いつまでもマナ風情とやり合っていてはいけないよね。
 ママみたいに凄い母親になれるかな?
 ふざけてるみたいで、放任してるようで、
 それでいてしっかり子供のことを見ている。
 ちゃんと導いてくれる。
 本当に凄い母親だと思う。
 なれるかな、私に?

「アスカ、じゃ会社の方は僕が…」

「大丈夫。レイには言ってあるから」

「えっ、レイにはもう言ってるの?」

 あ、シンジ拗ねた。
 
「だって、上司じゃない。理由言わないと遅刻なんかさせてくれないもの」

「ねぇ、お兄様。姉貴ってこ〜ゆ〜女なのよ。やっぱり、私と」

「マナ、いい加減にしなさいよぉ」

 私はマナの首を抱え込んだ。

「シンジは私のものなのっ。私以外の…」

 姉妹ならではのぶつかり合い。
 ここまでできるのはやっぱりマナしかいない。

「おめでとう、アスカ」
 
 え…。
 今、一瞬聞こえた。
 成仏したはずのマナの声が。
 息を呑み、周りを見渡す。
 怪訝な顔のシンジが「どうしたの?」と私を見る。
 ちょっと、今の何?

 腕の力が緩んで、マナがすっと抜け出した。
 そして、私に抱きついてくる。

「姉貴、おめでとっ」

「う、うん」

「名前どうするの?私と同じにはできないでしょ」

 耳元でそう囁いてテーブルの上のから揚げをつまみあげる。
 口の中にぽいっと放り込み、嬉しそうにマナは笑った。

「あ、アンタ…」

「おわっ、学校!今日はラブレター何通来てるかなっ?」

 おどけて玄関に走っていくマナ。
 制服の背中で自慢の金髪が揺れていた。
 その後姿を見送って、私は笑い出した。
 涙まで流したものだから、シンジはおろおろしちゃって。
 何よ、アイツちゃんと覚えてたんじゃないの。
 マナの癖にものの見事に隠してくれちゃってさ。
 もう、マナの馬鹿!

 でも、やっぱりシンジは渡さないわよ。絶対にっ!
 アンタはアンタの一番を探しなさいよ。
 ま、私のシンジに敵いっこないとは思うけどね。



 赤ちゃんはできていた。
 私とシンジの愛の結晶。
 嬉しいっ。

 その夜、パパとママに報告にいったとき、私はマナのことを訊いてみたの。
 前世の記憶が残っているのかどうか。
 あの時だけだったんだもの。
 もしかしたら私の聞き違いだってこともあるからね。
 で、二人がどう答えたかというと…。
 パパは素知らぬ顔で「祝杯や」と冷蔵庫に向い、
 ママはくだらないって感じの表情で私を見返した。

「ママ、わかってるんでしょ」

「馬鹿らしい。そんなことどうでもいいでしょう」

 ママが喋ったのはそれだけ。
 私を残してさっさとパパのところへ。
 私は膨れっ面をして天井を見上げた。
 何よ、自分たちだけわかってるみたいに。
 ……。
 ま、それでいいか。
 確かにどうでもいいことだわ。
 前世の記憶があろうがなかろうがマナは私の妹。
 可愛い可愛い妹。
 それでいい。

 その後、マナは二度とあんなことは言わなかった。
 私も本人に確かめてみようとは思わなかったの。
 前世がどうであろうが、とにかく幸せになってほしい。
 


 この数ヵ月後、男の子が産まれた。
 シンジに似た感じの標準より少し大きめの赤ちゃん。
 ベッドの上の我が子はまだ見えない目をこっちに向けているみたい。
 で、レイの車で学校から駆けつけてきたマナの第一声がこれだった。
 
「ねぇ、甥っ子と結婚ってできたっけ?」

 もはや母親たる私は平然と切り返してやったわ。

「へぇ、じゃあの子とは結婚しないんだ」

「えっ、し、知ってるの!ムサシのことを!」

「ふ〜ん、ムサシ君っていうんだ。そんな彼氏いたのね」

 呆然としているマナに私は微笑んだ。
 見事に引っかかったわね、ぐふふ。
 シンジは感心したような表情で、愛娘の彼氏の存在にびっくりしたパパはあたふた。
 そしてママは自分の腕をぽんぽんと叩いた。
 ふふん、これからもどんどん腕を上げるわよ。
 だって、私はこの子の母親なんだからね。

 ガラス窓の向こうにいる我が子がそんな私たちを見て、にこりと笑った…ような気がした。
 


あなたの心に…  ― 完 ―

 

 


<あとがき>

こんにちは、ジュンです。
ついに終わりました。カタストロフも何もなく、ただ淡々と。
初めて掲載いただいたのが2002年の10月28日でした。
それから2年と9ヶ月。
結末は最初から決めていたのですが、なかなか文章にはできませんでした。
最後までお読みいただいた皆様、催促のメールをくださった皆様、そしてターム様。
本当にありがとうございました。